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江戸時代に関する怖い話

1 :本当にあった怖い名無し [↓] :2004/10/07(木) 20:52:25 ID:KmiWTsB3
ってあるかい?


8 :本当にあった怖い名無し [↓] :2004/10/07(木) 21:15:26 ID:0kNqJ84S
「ろくろっ首」が首が伸びて、「ろくろ首」が首ちょんぱで飛んでくやつだっけ・・・?

まぁとりあえず、首が伸びる方。あれは江戸時代、ある町娘が
お気に入りの歌舞伎役者のイラストが書いてある旗(歌舞伎座の前に立ててある)を
毎日凝視して凝視して凝視して・・・で、ある日首が伸びていた・・って話らしい。

妖怪にめずらしい、怨念うんぬん一切関係ない、ちっとも怖くない成り立ちの話。


24 :本当にあった怖い名無し [↓] :2004/10/09(土) 16:05:15 ID:366qIb2j
家康の頃、ホウ って妖怪が城の敷地内にでたらしいね。
ホウは子供くらいの大きさで、肉の塊。
目鼻も判らない。
その肉は体力増強、気力充満、身心壮健の妙薬。
家康は逃してしまってから悔しがったらしい。
健康オタクだったからなぁ。
オイラもホウ捕まえたい。



25 :(@'ω'@) ◆n.qWqfl1rs [↓] :2004/10/10(日) 00:48:23 ID:5MhxACGA
簡単ですが、年表に・・・。。

1609 三月四日、畿内に四角い月が出る。
1619 夏から冬にかけて。京都東南の空に毎夜白気があらわれる。
形は牛のようで、長さは何十メートルもあった。
1666 五月二十六日、江戸に人の形をした約六メートルの怪光が飛来。
1685 二月二十二日、畿内の夜空に数百里を照らす流星が東から西に飛ぶ。
やがて落雷のような音が響く。
1690 三月三日、ヒカリモノ巽より乾の方へ飛ぶ。十一月一日の夜、
京都の東の方からヒカリモノが飛来、同時に醍醐の一部焼失。
1702 九月、毎日昼頃になると太陽が血の色に変わり、その中から綿のような糸が降ってきた。
1713 十一月一日、畿内の夜空に怪光が鳴動して飛ぶ。
1749 九月二十四日、まりのような火の玉が飛ぶ。
1750 火の玉が飛ぶ。
1751 月が三つならんで出る。一月六日、今度は太陽が二つならんで出る。
二月には越後で赤い雪が降る。
1803 二月二十二常陸の国に、異形の女をのせた円盤形の舟が漂着する。

流星や自然現象だと思われるものも多いですが、その辺はね・・・。。
ほとんどが『大絵抄』からの引用です。。


26 :(@'ω'@) ◆n.qWqfl1rs [↓] :2004/10/10(日) 00:55:33 ID:5MhxACGA
光り物や怪光を目撃した、という記録はそこそこあるんですが、大雑把なのが残念^^;



31 :(@'ω'@) ◆n.qWqfl1rs [↓] :2004/10/12(火) 18:13:56 ID:d9JIW0bt
>>28
日本史上で最も不可思議な光り物が飛んだという報告が多いのが江戸時代。。
彗星の接近と光り物の目撃情報が見事に一致する場合も。
天保6年のハレー彗星接近の時は、平戸藩主で怪奇現象収集を趣味とした
松浦静山の『甲子夜話』に「怪光現る」の記述があります。。
この他にも目撃情報は大量にあるわけで・・・。。



41 :(@'ω'@) ◆n.qWqfl1rs [↓] :2004/10/17(日) 00:20:23 ID:mE3hMtmf
コレラが大発生した安政の時代では、死体を焼いても焼いても追いつかず、
600体ほどが放置されたままになり、しかもピーク時が夏場だということもあって・・・。。

ちなみにこの時の死者は20万人以上。当時の江戸に住んでいた4人に1人が死亡しました。


42 :本当にあった怖い名無し [] :2004/10/17(日) 18:42:48 ID:2ANpOONA
安静のコレラ大流行→いっぱい死んだり生きてる人もびびって家に引きこもる
→道場に誰も来なくなって近藤一派食い詰める→浪士隊にでも参加するか
→京都到着、清川と分かれる→新撰組結成

つまり今の大河はコレラのおかげ



46 :(@'ω'@) ◆n.qWqfl1rs [↓] :2004/10/20(水) 18:33:36 ID:JbNgx1fb
安政のコレラと同じ頃、江戸をはじめとした各地で奇妙な祭りが流行しました。

町角では斎竹をたて、軒にはしめ縄をはり、提灯をさげ、門には門松をかざり、
鎮主の社からは神輿をかつぎだし、節分でもないのに豆をまく。
夜になるとかがり火をたき、鉄砲を撃つ。
行事を一挙に行なうことで、凶年をすこしでも早くおくろうという願いからです。
また鉄砲はコレラが他地域から入ってこないようにするため。
天狗は疫神とされ、その団扇に似た八ツ手をつるしておけば
疫神を祓うことができると信じられていたため、
それを売り出す者もあらわれ、人々が殺到したといいます。

コレラ患者の家では、天狗の面や獅子頭を借りだし、病人の枕元におき、
赤飯などの供物などを捧げました。
家族はハエがたかり、ホコリまみれの供物を分け合って食べ、
縁者や近所の人々も競ってすそ分けにあずかる。
経口伝染病の王者と言っても過言ではないコレラ菌まみれの供物を・・・・。

民衆が祈りをこめて捧げた供物が、コレラ感染の一因となっているところに恐怖を感じませんか?


47 :(@'ω'@) ◆n.qWqfl1rs [↓] :2004/10/20(水) 18:54:45 ID:JbNgx1fb
こうした光景は、日本人が長くつきあってきた疱瘡にたいする「疱瘡祭り」の名残りがうかがえます。
しかし、「疱瘡祭り」が家族の中における通過儀礼的な性格であったのと違い、
村境から疫病が入ってこないように鉄砲を撃ったり、
鎮守社から神輿をかつぎ出すところに象徴的に見られるように、
コレラ祭りには共同体の意識が極めて強く、祝祭行事としての色彩をおびていることがわかります。

また、長崎では外国人が井戸に毒を流したという流言も生まれ、
そのために異国人の殺傷事件もおきました。
明治維新も近く攘夷の声も高まっていた当時の、最も攘夷論の激しい長崎という土地だけに、
騒動はさらに増大していきます。
長崎も市内全域で先にあげたような祭りを行っていました。

現在でもそうですが、祭りと酒は切り離すことができないものです。
酒が入るとどうしても騒ぎがおきてしまいますよね。



51 :本当にあった怖い名無し [↓] :2004/10/23(土) 10:51:06 ID:i71O76kZ
江戸時代、糞尿が肥料として使われてたから不潔、てのは間違いだぞ。

糞尿を窓から道に投げ捨てたり、川に全て垂れ流してたりしてた、
欧の街の方が不潔だったんだ。

ハイヒールの踵が高いのは、が道端のウンコをふまないようにするためなのは有名だし、
セーヌ川は垂れ流された糞尿で満ち、悪臭が漂っていたという。

逆に、糞尿を肥料として使っていた日本では、糞尿は一箇所に集められ、
定期的に回収されていたから、街は清潔に保たれていた。
長屋の大家に至っては、農家に売るために集めた、たなこの糞尿が収入源になっていた程だ。


52 :本当にあった怖い名無し [↓] :2004/10/23(土) 11:15:17 ID:i71O76kZ
>>51続き

糞尿もニヶ月程で、微生物により完全に分解されて、
臭いもせず無害となり良質の肥料になるらしい。

ところが敗戦後、占領軍が入って来て事態は一変した。

生でサラダを食べる習慣を持つ彼等は、肥やしで野菜を育てる様を見て戦慄した。
彼等は、肥やしを「蛮習」と決め付け使用を禁止。
農薬と有機肥料で育てた野菜を「清潔野菜」として売らせた。

日本人は、今までの自分が「不潔で野蛮」だったと教え込まれていく。

現代の過度な清潔嗜好や、それに伴うアレルギー症状等の源はここにあり、
GHQの呪縛は今も生きている。



74 :本当にあった怖い名無し [] :2004/10/31(日) 21:22:43 ID:oAnGol9T
私が聞いた江戸時代の怖い話。
「盲腸は不治の病。」
星新一のコラム集の本で真性厨房の時読んだんだけど
結構怖く感じた。


75 :本当にあった怖い名無し [↓] :2004/11/01(月) 17:55:55 ID:LPip1gVT
俺の伯父さんは昭和初期に盲腸で亡くなりましたが?
戦前は珍しい事じゃなかったらしい。
どこの病院でも外科手術ができるようになって、抗生物質のおかげで予後もよくなったのは
戦後のことだぞ。


76 :児玉 ◆LsFjO0g2Dk [] :2004/11/01(月) 23:01:36 ID:ovvSgggd
盲腸って放っておくと、腹膜炎起こして最悪の場合死ぬんだよね。
江戸時代は人体の構造すら全くわからなかったから、盲腸が不治の
病だと考えられてたのは納得がいく。


77 :本当にあった怖い名無し [↓] :2004/11/01(月) 23:36:39 ID:W5DGrjOb
江戸時代のことかはわからんが、昔どっかで読んでちょっと怖かった話。

とある長屋に住んでいた武士(浪人かも)が怪しげな気配を察して夜半に目を覚ました。
部屋を見回すと、廊下に面した障子に月明かりに照らされた人影が映っている。
その影に言い知れぬ邪悪さと恐怖を感じた武士は、刀を引き寄せつつ影を睨みつけた。
やがて怪しげな影はすいっ、と隣の長屋へ。

……翌日、長屋近くで無差別殺傷事件が発生。下手人は隣の長屋に住んでいた別の武士。
彼が凶行に及んだ理由は不明だったが、件の武士は「ああ、あの魔(影)が通った先にあやつがいたのだ」と
得心したという。

これが「通り魔」という言葉の起源だ、と締められていた。なんか怖かった。



84 :本当にあった怖い名無し [↓] :2004/11/02(火) 04:37:28 ID:kWbK+N2M
うろ覚えでアレなんだが
江戸時代(天保年間かその前後)で東北の辺りだったと思うのだが
漁師が海上に漂う物を見つけ持って帰って来たそうだ。

その物と言うのが奇妙な物で形は楕円形のカプセル状で
そん中には女性が入っていたと言う事だ
見た目は異人の様な感じで奇妙な言葉を話
見たこともない服を着ていたそうだ。
怖くなった漁師は役人に連絡し役人が代官所に持って行ったそうで

そこで西洋やロシアの知識が有るに見聞を依頼した。
役所も当初は流れ着いた異人の類いと思っていたのだが
見聞した所、どうもロシア人でもそれ以外の土地の物でもない事が判る
その女が持っていた物に文字が書かれていた物が有ったそうだが

ロシアの文字でも中国も文字でもオランダ語で無い未見の文字で
見聞した者も一体何処の人間なのか見当が付かなかったそうだ。

当時の日本に海外の情報云々と言われる前に言っておきますが
当時の日本は外国船の出没が多発しており一部の階層に置いては
かなり詳しい海外事情が広まっていました。

結局、何処の誰であるかも目的も分からない事と余計な混乱を避ける為に
女をそのカプセルに入れ再度、海に流したそうです。

その当時の覚え書きに記載のある絵を見たのですが私が見た所見ですが
着ている服や文字とおぼしき書物の写しを見る限りロシアの人とは考えられませんでした。
またカプセルと表現した女が乗っていた入れ物はなんですが
見た目がSF映画に出てくる宇宙船の脱出カプセルの様でした。



85 :本当にあった怖い名無し [↓] :2004/11/02(火) 04:42:32 ID:ToCkBQkM
>>84
昔、『コズモ』とかいう雑誌で、
こんな話を読んだことがあるよ


86 :本当にあった怖い名無し [↓] :2004/11/02(火) 05:14:54 ID:kid1XJZb
>>84
滝沢馬琴の記録に似た話があるよ
ttp://www.ten-f.com/bakin-to-ufo.htm


87 :本当にあった怖い名無し [] :2004/11/02(火) 06:00:47 ID:WsEbOir3
>>84
それはつくり話が大きくなって、あんな絵まで書かれたとか、
たしか荒俣センセあたりが何かに書いてたよ。(うろ覚え)


88 :本当にあった怖い名無し [↓] :2004/11/02(火) 06:11:01 ID:CUwPg5Xa
江戸時代ぐらいの生活が地球環境にはいいんでしょ。
当時のほかの国と比べてても衛生面とかかなりよかったらしいね。


89 :本当にあった怖い名無し [↓] :2004/11/02(火) 09:35:38 ID:J0jXDfzu
荒俣(アリャマタ)先生といえば、昔スペ番で自慢げに
一枚の古い画を持ってきていた。
画は蛇に似た骨を写生した物と思われ、短い体に
大きな頭、尻尾にも小さな頭が付いている。
名前が入っており、「ヨコズナ」と書いてあった。

アリャマタ先生は、「この画は新潟の寺で見付けた」と
言っていたが、生き物は「ヨコズナ」でなく、
「ヨコヅチ」であると思われる。
恐らく描いた絵師が名を勘違いしたのであろう。
「ヨコヅチ」と言えば越後三条南郷談に出てくる
「ヨコヅチへビ」の事で、即ちツチノコを指す。
北陸、近畿、四国では槌蛇は「横槌」で呼ぶ。

古き時代の人も珍しがって写す程の生き物だった
のだろうか…



113 :本当にあった怖い名無し [] :2004/11/05(金) 09:01:51 ID:zlsCW55z
時は寛延から宝暦(1751~63)の頃松前屋市兵衛と言う裕福な商人がいたそうです。
ある夜、下女を伴い厠に用足しに行ったそうです。
寝所には奥方が市兵衛が戻ってくるのを待っていたのですが何時まで待っても帰ってこない。

奥方は”下女にちょっかいを出しているのでは?”と疑い厠に向かった所
厠の前で下女が困った表情で立っているので奥方は厠の扉を叩き
市兵衛の名前を呼んでみたが一向に返事が返ってこない。

厠の中で突然倒れ事切れていると思った奥方は扉を開けてみた。

すると何と厠には猫の子一匹も居ない状態で何処を見回しても市兵衛の姿は無かった。
慌てた奥方は家人の者を集め方々を探してみたが見つからず。
暫くしても見つからない為、消えた日を命日にして弔い婿を迎え家の存続を計る。

そして市兵衛が謎の失踪遂げて20年程経ったある日の夜。

厠から”おーい、誰か来てくれ”と呼ぶ声がした。
何事か?と家人の者が集まり厠の扉を開けた所、何と失踪した市兵衛が
消えた当時と同じ格好で厠の中から出て来たのであります。
驚く家人達の追求をよそに空腹を訴えた市兵衛。

仕方なく膳を用意し市兵衛に与えた時の今度は市兵衛の着ている服だけが
家人達の目の前で消え裸になってしまった。

衣類を着せ落ち着いた所で市兵衛にあの日に何が起こったのかを問いただしたが。
市兵衛も消えてからは全く記憶が無く気がつけばまた厠に居たとの事

また20年の時が経過しているにもかかわらず市兵衛は消えた当時と全く
変わらない姿だったので家人達は神隠しに遭ったと言い合ったそうです。

奥方は既に婿を迎えている状態であった為、その後市兵衛は呪い師として暮らしたそうです。


166 :本当にあった怖い名無し [] :2005/03/11(金) 00:28:46 ID:551d50di0 [PC]
江戸時代の人達の死亡原因の多くは、性病だったと言う記録がある。
現在みたいに特効薬が無いから、梅毒などにかかるとアウトだったらしい。
性欲の強い人ほどリスクも多いし、寿命も短いわけだ。

当時はスキンの代用として、魚の内臓の浮き袋を使用していたと言うことだが、
これも非衛生で危険だったと思われる。

昔の人の寿命が短い理由は、こんなところにもあったんだな。



176 :本当にあった怖い名無し [] :2005/04/09(土) 17:43:41 ID:5krp1bb10 [PC]
昔の江戸系いろはがるたでは、「安物買いの銭失い」の絵札は、
鼻のない男が鏡を見ているという絵がポピュラーだった。

安い女郎を買ったために、梅毒をうつされ鼻が腐って落ちたという意味。
一種の「教訓」とはいえ、こんなので子どもも遊んでたんだから、
すごいというか何というか。


177 :本当にあった怖い名無し [] :2005/04/10(日) 13:40:16 ID:UWH8LryS0 [PC]
>176
すごいね、それ欲しい。



196 :本当にあった怖い名無し [↓] :2005/05/19(木) 19:11:00 ID:6i3HTkwV0 [PC]
江戸時代に牢に入れられる時、牢の中で一番地位の高い奴へ
何らかの土産を持ってくるのが当たり前だった。
 もし土産を持って来られなかった者は・・。

1 茶碗いっぱいの糞を食わされる。泣いて許しを請うと
  周囲は「おお、あまりの嬉しさに泣いちょる」と大笑い。
  一口食する毎に、棒のようなもので肩をぶたれる。
  死んでしまう者も多数いたそうな。

2.牢の格子側に立たせて打ち据える。さんざん殴られて衰弱したら
  「ここらでいいだろう」の声と共に、股間を思いっきり蹴られる。
  悶絶して死んだ者もいる。

3.女囚の場合、座禅を組んだまま前に転がされたような
姿勢にさせ、誰からやられているのか分からない(見えない)
状態で犯された。 これは牢内ではなく、看守がよくやった手だという。
実際、女囚が子供を身ごもる事も度々あったそうだ。



206 :本当にあった怖い名無し [↓] :2005/06/02(木) 18:11:39 ID:/NKzA+Li0 [PC]
>>196
いや、牢屋内のリンチと看守の息抜き(爆
本当は、女性に拷問を加える時、着物がずれて太ももが
見えたらもうやっちゃダメって規定があったけど
どこも守っていなかった。
 女囚に対する性的虐待も本当は御法度の筈なんだが・・。
ま、密室内の事なので発覚する事も稀だったろうし、
誰がヤったか分からないようにして口裏を合わせただろうから
なかなか表沙汰にならなかったんじゃね?

ただ、ソースが何だったのか思い出せないなー。
昔の拷問や死刑関係の本だったか、漫画だったか・・。
漫画がソースだったら、>>196の方が正しいかもな。

 これだけではおもしろくないので一つ。
知っている人は知っていると思うけど、
当時の「火消し」の仕事は、主に燃えてる家屋の
周囲の家を解体する事でした。

今のような強力なポンプを使った物ならともかく、
当時の放水器は手動ポンプ、もしくはバケツリレーしか
なかった。そんな物で火事を消せる訳はなく、
周りから可燃物を取り除く事で鎮火させていました。

だから、一度大火になったらもうお手上げ。江戸の半分が
消失した時なんかは、もうどうしようもなかったんじゃないかな。



217 :本当にあった怖い名無し [↓] :2005/06/12(日) 12:01:44 ID:I/wOSv9n0 [PC]
>196さんに補足。

> 1 茶碗いっぱいの糞を食わされる。泣いて許しを請うと
>   周囲は「おお、あまりの嬉しさに泣いちょる」と大笑い。
>   一口食する毎に、棒のようなもので肩をぶたれる。

これって、ただ食わせる→棒でぶつ のイジメコンボなだけ
じゃなくて、人間は肩をどつくとその反射的に口の中のものを
飲み込んじゃうかららしい。
つまり強制ウンコ食わせ。こわ。

何かで読んだんだけどソース忘れました。

http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1097149945/1
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[ 2011/02/16 19:31 ] | TB(0) | CM(0)

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